05.01.11

3日夜、フランス留学時代に出会った親友の訃報が届いた。何が起こったのか理解できず、悪い夢でもみているのだと、これはいたずら好きな彼の、友人達を一同に集めるための冗談なのではないか、いやそうあってほしいと切に願った。


車で東京へ向かったが、徐々に東京へと近付いていくのが怖くて仕方がなかった。斎場に着き、彼の親族、友人達と会い、それは現実であり、夢であってほしいという願いは崩れ去った。棺に入った彼は生前同様、優しい顔をしていた。今すぐむくっと起き上がり、久し振りって言いそうなのに、無言で優しい目で笑いかけてくれそうなのに、触れると信じられない程冷たかった。


彼は大晦日に自分で命を絶ったのだが、式の後に訪れた彼の家の中は以前と全く変わらず、つい前日のレシートも、食料もいつもと変わらず、そのまま残されていた。何故そんなことをしたのか、彼は何もその理由を残さなかったので真相は分からないままだ。でも、フランスから日本へ帰国する際も誰にも伝えず、こっそり一人で帰ろうとしていたのと同様(結局、帰国前日に偶然彼の家を訪れ、その計画がばれてしまい未遂に終わり皆に見送られて彼は帰国したのだが)、それは最後の最後まで彼らしい振る舞いであった。



フランスでは自分のアパートがあるにも関わらず、僕の家に居候のように滞在し、ほぼずっと一緒に過ごした。毎日夜遅くまで色んな話しをして、絵を描いて、写真を撮って、朝はゆっくりと起き、ノスタルジーというラジオから流れる60~70年代の音楽を聴きながら、コーヒーを飲み、一服するのが日課だった。そして仲間達と集まり、よく騒いだ。一緒に過ごした時間は本当に濃く、忘れる事のない思い出となっている。彼からは色々な事を教えてもらい、影響もされた。何より、写真を撮り始めたのは彼がきっかけだ。彼と出会っていなければ、今の僕はあり得ないだろう。フランスに居た時も、帰国してからも、会ってはカメラや写真の、洋服や靴、お互いの夢のことなど、尽きる事無く話をした。お互いが少しずつ前進していくことについても、自分のことのように喜んだ。そしていつも、フランスで皆と一緒に過ごした時間のことを懐かしみながら繰り返し、繰り返し話した。


最後に会ったのは去年の夏で、いつもと変わらず昔話に花を咲かせ、一緒に銭湯に行き、買ったばかりのバイクのパーツ探しに夢中になり、新たに増えたメガネを自慢し、当時夢中になっていた料理グッズを嬉しそうに見せてくれた。


まだまだ話したい事、報告したいことも沢山あった。いつも僕は彼から与えてもらうばかりで、果たして僕はどれだけ彼に与える事ができたのだろうか。いつも人のことばかり考えて、人の喜ぶ顔を見るのが楽しみで、誰より仲間を大切に思う人だった。それ故にか、自分の気持ちを素直に伝える事ができない不器用さも持ち合わせていたように思う。そんな彼にとって、この世の中は過ごしにくかったのかもしれない。けれど少しは頼ってくれても良かったんじゃないか、兄さん。


彼のお兄さんと話しをしていて、彼が昔に"大晦日に死んだら、自分の誕生日が49日だ"と言っていたそうだ。彼がその言葉を覚えていたのか定かではなく、今となっては誰もその答は分からない。だが今回、それは現実となってしまった。


今回の件で、本当に沢山のことに気付かされた。そして二度とこんなことを繰り返してはいけない。


残された僕達は、兄さんの分まで強く生きよう。そして遠くから、いつもと変わらぬ優しい眼差しで僕たちのことを見守っていてほしい。いつになるかは分からないが、僕達がそっちに行って、再会できた時には何の話をしようか。まずは説教をするよ。でも、やっぱり笑いながら頷いているだけなんだろうな。そんな兄さんのことを、僕達はきっと忘れない。


どうか安らかに眠って下さい。心より、ご冥福をお祈り申し上げます。